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中期計画は「作るも大変、作った後も大変」である。

中期計画は、自社の「進むべき道」と「到達点」それを「実験させるべき戦略」を明らかにすることであるが、これが大変難しいのである。さらに、策定した後は、もっと大変である。▲なぜなら、それを達成させる責任を負うことになるからである。▲このことを、経営トップは忘れてはならない。

 

私が中期経営計画の策定に取り掛かったのは2006 年の夏であった。▲今でも覚えているが、その骨子は、中国進出も軌道に乗り始めた頃であり、さらに海外市場に打って出るために、ここでもう一度「国内事業基盤を整え収益性を高める」ことであった。▲具体的には3年後(2010年3月期)に売上高を13%伸長させ 、営業利益率を2%台から3%へと引き上げる数値目標を掲げた。▲一見、目標値が低いように思われるが、これは、自動車業界の飛躍的な伸長の牽引となっていた中国の低迷を予期したものであった。▲規模拡大よりも、収益基盤の改革を優先させたのであ。▲これは、当時の社長の強い意志であった。

 

 2008年3月、中期計画を発表して1年が経過した。▲中国は米国を抜いて世界第1位の最需要国となった。▲このことが大きな要因となり、我社の売上高は「あっ」と言う間に、過去最高売上高を計上するに至った。▲勿論、営業利益も3.5%を記録し、わずか1年で中期計画の目標値を達成してしまったのである。

 

ちょっと、寄り道にそれるが、この頃の自動車業界の伸長は、とにかくすごかった。▲需要の伸びに、私の予測は完全に追い着いていけなかった。外部発表した業績予想は、常に外れ放なしであった。▲いつしか、新聞記者やアナリストから、我社の業績予想は「控えめ予想」として定着してしまった。

 

 ところが、中期計画の2年目(2009年3月期)に予期せぬ出来事が起きた。▲主要取引先の米国市場における在庫過多問題が浮上し、即時に「生産調整」に入った。加えて「リーマンショック」による世界的な景気低迷の影響を受けた。▲これは、まるで「思い切り踏み続けていたアクセルに急ブレーキをかけた状態」だった。▲今まの増産投資が、一変して足枷に代わった。▲業績も当然下降した。営業利益は赤字に転落してしまった。

 

ここからが踏ん張り処だった。予定した収益改善施策はそのまま継続させた。・・と言うより加速してもらった。▲財務を担当する私は投資効率が低い事業・テーマ・子会社の対策に力を注いだ。▲それよりも、この一大事に大きな支えとなったものは「ものづくり改革」と言う生産効率の引き上げによるコスト低減であった。▲この効果は利害関係者の期待を裏切らなかった。

 

発表から3年目には、前年の営業赤字から、たった1年で脱却し、売上規模は低下したものの、営業利益は発表時の水準(2.4%)まで回復していた。▲翌年の4年目(2011年3月期)には、営業利益5.4%をたたき出し「過去最高益」を計上することができた。

 

さらに中期計画の最終年度である5年目(2012年3月期)には、「東日本震災」「タイの洪水」と言う未曽有の経験に見舞われ、売上高は中期計画5年間のうち最も低い水準まで下降したが、営業利益率は「4.8%」と、目標値の「3.0」を大きく超えるともに、定着していった。▲中期計画で目指した「収益基盤の整備」は予定通り実現できた瞬間である。

 

▲このように、中期計画を発表してから、山あり、谷ありの連続で、その都度「修正報告」をすべきか、どうか、随分悩んだ。▲大きな振れは、過って経験したことのないような「外部環境の変化」によるものであったが、当初、想い描いた施策を地道に実行して行ったことが功を奏し実現できた。▲中期計画の期間が無事終了することができ、胸の閊えが取れ「ホット」したことを思い出す。

 

経営トップは、自社の進むべき道を明らかにし、達成に向け重い責任を負うことを覚悟し、コミットしたことが達成できなくなったと予測されるに至った時は、早目にその旨を外部発表することを忘れてはならない。▲これなくして、株式市場からの信頼は得られないことを自覚すべきである。

 

中期計画を発表しようと考えている方は、是非、ご連絡下さい。効果的な発表方法のお手伝いをさせて頂きます。