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なぜ、出向を引き受けたのか?・・・本当の理由。

実は、この話、自分でも初めて語る。

たぶん、同僚でも知っている者はいないだろう。

決して、かっこいい話ではないが、今出向している人や、これから出向するだろう人、それに会社を移ろうとしている人達にエールを送る気持ちで書こうと思う。

それに、この会社に呼んで頂いた幹部の方々にも、自分を選んでくれたお礼の気持ちを込めて書かせてもらおうと思う。

 

出向への序曲 

 私は、1990年の初頭、グループ会社の合併問題にかかわっていた。▲大蔵省(現・財務省)や、証券業界、弁護士との打ち合わせをする傍ら、被合併会社のトップとの交渉までも担当する羽目になり、多忙を極めていた。▲この頃から、私は、経営会議で報告する機会が多くなってきた。▲報告する内容も、かなり専門的なものになり、技術や製造出身の役員の方々には、さぞかし、新鮮に映ったんだろうと思う。

それに、この案件は全社的案件であり、多部門の利害が交差する難しい案件であった。▲私には、到底捌くことができないものが沢山あった。ギブアップしようと思ったこともあったし、とにかく暗い毎日であったことを思い出す。▲そんな中、救いの神が降りてきた。製造部門の大物が声をかけてくれた。「今から会議を開くので、陪席し、横で聞いていなさい」・・・これは、彼なりの私への「暗なるメッセージ」であった。普通、財務マンが製造部門だけの会議に参加できる機会はめったにない。それを、非公式に呼んでくれた。▲このことで、今まで解決されていなかった課題が、次々と紐解かれていった。

お陰で、ギブアップすることもなく、最後までこの案件に係わり続けることができ、私の知名度も徐々に上がっていった。

 

順調なはずの道が、少し外れはじめた。

 知名度が上がった効果はすぐに出た。▲長年苦しんでいる新規事業の立直しメンバーとして、白羽の矢が立ったのである。▲時は1996年春。

国の政策に基づいてスタートしたこの事業は、採算面で軌道に乗せられない状態が長く続いていた。▲社会性の高い事業だからこそ、途中で投げ出すことはできなかった。採算面で軌道に乗せることは喫緊の課題であった。

私は、まず、採算面で足枷になっていた在庫問題に手を付けた。それも思い切り良く一気に整理した。私は財務マンであったから何の躊躇いもなくこれを実施した。▲そして、過去の「負の財産」を整理したうえで、「新たな再出発の道筋」を描き始めた。

配転後、まだ半年しか経っておらず、私の業界知識はまだまだ素人の域を出ていなかった。▲幸い、鳴物入りで参加させて貰ったお陰で、周りからの協力をもらうことは、そう難しくはなかった。▲お陰で、数人の仲間と作り上げたこのシナリオは満足のいくものとなった。▲自分のサラリーマン人生の中でも、傑作中の傑作であった。『もう一度、同じものを作れ』と言われても、多分できないだろう。▲その位、自分の中では満足のいくものであった。

その内容は、・・・・・「先発企業が実施してきたことに比れれば、我々はまだまだトライしていないことが山ほどある。これを実施していけば立て直すことも可能である」と言うものであった。

我々は、経営会議で胸を張って、そう、報告した。

 

一瞬にして社内失業者となった。

忘れもしない2000年の1月・・・年が明けて間もない頃、我々の事業が撤退することを「新聞」で知った。突然であった。▲我々が経営会議で再起を誓った日から、まだ、数か月しか経っていない時期に、会社は我々と、真逆の結論を出したのである。

この一瞬で、私たちは「社内失業者」となった。

最初に事業トップが、そして2~3ケ月後に私が配置転換させられた。その後、仲間は散り散りとなっていった。▲特殊な事業であったゆえ、社内では配置転換が難しい者もおり、他社への出向や、退社する者も出てしまった。

 

それでも、残る悔いもなければ、恥じることもなかった

 今、冷静に考えれば、会社の判断は正しかったと思う。

私たちは最終製品を扱う企業であったが、この新規事業は違っていた。

コア技術は電機業界が持つ制御技術とのコラボで成り立っていたし、販売先は主力製品を売るための副次的製品として取り扱っていた。▲そればかりではなく、その先には、ゼネコンやサブコンさらには施主までいると言った販路形態でもあった。▲我々はその最も川下に位置し、当社だけではどうにもならない産業構造の中にいたのである。▲こんな複雑で難しい業界はないだろう。続けていれば、もっと痛手を負っていただろう。

会社とは意を反することになったが、我々の中には、決して挫けることが無い支があった。

それは、「再生させようと誓った合った熱き想いと、再生に向けた頑張り」であった。

 

それしか選択岐は無かった。

 私への出向の話は、来るべくして来た。

 当時は、会社の業績が低迷していた時期でもあり、希望退職の話が頻繁にされていた時期であった。▲私の多くの仲間も、この波に呑まれ、止む無く退社したり、出向で、会社を離れていった。

私も、一時は退職も考えた。でも、「私でも必要としてくれる会社があるなら、そこで、もう一度、全力で駆け抜けてみたい。」と思い直し、今の会社にお世話になることにした。

そう、私には、出向を断る選択岐は、もう無かったのである。

 

最後に皆さんに伝えたい。

 サラリーマン人生は山あり谷ありである。

期待されている時期もあれば、一転してダメ評価されることもある。

何が契機でそうなるか分からない。精一杯やっていても、それはやってくる。

ならば、どんな時でも精一杯の努力をすることが、悔いのない人生になるんだと確信し疑わない。