シニアの僕は、こうやってバイクの免許をとりました。

私は、バイクのカスタマイズを手掛ける会社で役員をしていたことがある。年は50歳に近いころであった。それまでもバイクメーカーで仕事をしていたので、バイクに慣れていると言えば慣れていたのだが・・・。▲でも、危ないことには、なるべく避けようとする性格だし、事務屋だし、バイクに乗れなくても、まあ、なんとか仕事はできていた。▲ところが・・・である。それが通らなくなったのである。▲開発会議に持ち込まれるカスタマイズバイクが、『な、な、なんで、こんなバイクが売れるのか ! 』ってことになってしまうのだ。それも1台2台ではなく、持ち込まれる全てのものが、私の目からはおかしく見えるのである。▲もう、こうなると、『皆がおかしいのではなく、私がおかしいんだぁ~』と言うことが分かってくる。▲それで、『自分もバイクに乗るしかない ! 』ってことになったのだ。それが50歳過のこと。

 早速、私は教習所に通うことになった。▲初日からビックリ。▲『はい ! 、乗って ! 』そう言って教官は400㏄の、お化けみたいなバイクを指さしたのである。▲『う、う・・うそだろう。何の説明もなく、すぐ乗れって、むちゃくちゃじゃん ! 』▲普通の若者はだいたい一度や二度は、既に乗ったことがあるようで、その一声で乗ってしまうようである。▲おとなしい自分はそんなことしたことないし、とても無理だと思った。それでも、『こんなところで引き返してなんていられない』そう覚悟して、無謀にもバイクにまたがったのである。▲勢いよくトライをしたまでは良かったが、▲足が短いせいか、止まるたびに半尻状態にしなければにらないし、▲転べば一人で起き上げられない ( ガソリン入れないで140㎏位ある)し、▲坂道発進すれば後ずさりするし、・・・と言った具合で散々な目に合った。▲それでも「50の手習いにも・・・」である。▲続けていれば何とかなるもので、一通りのことは、こなせるようになった。

  ところで、バイクの運転ちゅぅのは、車と違って、とても難しい。▲たとえば、ブレーキをかけるにも車のようにただ「ブレーキペダル」を踏めばいいってもんではないのだ。▲前後のブレーキを、手と足を使ってバランスよくかけないと転倒してしまう。▲カーブだって、ハンドル操作だけでは回れないのだ。体重移動しないと回れない。▲それも、ゆっくり回る時と、スピードを出して回る時では、体重移動が逆になる。▲おまけに、体の周りは鉄板でガードされていない裸の状態。エアバックなんてのもついてない。▲もう、「死にもの狂い」で、自分を守らなければならないのだ。▲でも、こうした危険度が、「男の格好良さ」につながるから、やめられない。

 そんな訳で、私の前には、二つの難関が立ちはだかった。▲それは、「一本橋」と「スワローム」と言う最大にして、最も難関と言われる場所だ。▲「一本橋」と言うのは、細い一本の木の上を、ゆっくり渡り切る技術で、それも、渡る直前で一旦停止し、ギアをローに入れ替えから渡り始めて、一本橋の途中でセカンドに入れ替える。といった極めて難しいライテクが要求されるところ。▲もう一つの「スワローム」というのは、曲がりくねった道を、体重移動をしながらスムーズに走り抜くところで、もっとも格好良さがアピールできる場所。

 私は、この二つが何度やっても出来なかった。▲自分では必死であったが、傍から見れば、かなり滑稽 (こっけい)に見えたのだろう。応援に駆け付けた妻は大笑いしていた。▲そんな状況下で試験日を迎えた。▲確率は50:50であった。▲自分の番がきた。▲緊張のスタートをきった。▲信号停止、坂道発進、クランク・・・順調に難関を突破していった。▲ついに問題の一本橋の前に来た。止まった。ギアを入れ替えた。『よしいくぞぉ~』と掛け声と共に元気よく走り抜けた。▲次のスワロームに入った『お・おっ・・・ちょちょっと・・・とっとっ』思わず声がでたが、何とか抜けることができた。▲けして、格好は良くなかったが、熟年ライダーとしては全力を出し切った。

 いよいよ結果発表である。▲珍しいことに、前ふりがあり、選考結果の説明があった。▲『今回は新記録が出ました。一本橋での最速記録 (本当はゆっくり渡ることが求められている)と、スワロームでの最長時間記録でした。でも、この方は性格テストで最も安定した方でした。こんな方であれば運転も無理はしないと思います。技能だけでなく無理をしないことも貴重です。』

そう言い終えてから、合格者の番号が呼ばれていった。

そこには、私の番号が・・・はっきりとした口調で読み上げられた。

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