読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

企業理念は変わらないが、経営戦略は時代と共に変わる。

先日、元の会社のOB会があり、久しぶりに会社の状況を教えて頂いた。グループ企業間での事業再編案により、事業規模が急拡大するようである。それも、中途半端な規模ではない。普通だったら10年はかかるだろう拡大を、わずか1年の内にこなさなければならい量である。これだけの量を品質と納期に問題を起こさないで実現させることは、並大抵のことではできないだろう。それを、今、必死で対応しようとしている。

 思い、起せば、私の現役時代も、外部環境のスピードが速くて、経営戦略の立て替えの連続であった。高度成長の時代は「多角化戦略」で、業容の拡大に邁進した。それもかなり先進的な事業に進出しようとしていたので、市場がなかなかついてこなかった。そのせいで、先行投資は回収時期を迎えることなく、次第に経営に重い負担をかけるようになってきた。 

 ここで、経営戦略を代えた。時は、私が赴任した当時の、今から14年前。「多角化」から「集中と選択」に大きく舵を切った。戦いの場を元に戻したのである。当然、領域は狭くなる。だから競争も厳しくなる。永く多角化で経営資源を分散させていたこともあり、技術競争力がぐっと落ちていた。この遅れを短期間で取り戻さなければならなかった。ゆっくりしていたのでは競争相手に置いて行かれる。そんな緊張感が漂っていた。 ▲幸い、当時のK社長は、厳し方で、ぎゅっと元の引き締まった体に戻すべき「激」を飛ばし続けた。とにかく飛ばし続けた。その甲斐あって、体力は徐々に戻っていった。

 しかし、市場は待ってくれなかった。受注は「ブリッジ化」していったのである。それは、ある部品を、日本で受注しようとすると、おなじものを、同じ価格で、全世界に供給しなければならないようになってきたのである。そう、自動車業界での「地産地消」が基本戦略になって行ったのである。こうなると、当社も海外進出先の拡大を余儀なくされていった。市場動向と自社の体力を見ながら、米国→タイ→中国→インドと精いっぱいの手を打ってきた。当時の I 社長は、古巣である最大手の取引先と戦略連携をうまく調整しながら、堅実に拡大を進めた。その成果は目に見えて現れた。過去最高売上高、最高利益、無借金会社を実現したのである。その後も、リーマンショックや、タイの大洪水、東北大震災にも見舞われたが、この時に築いた利益体質は崩れなかった。

 区切りとは必ず来るもので、いくら業績が上がったと言えども、時期がくれば社長も変わる。新社長のM氏になり、「グローバル戦略」に更に拍車がかかった。それは、当社の海外進出よりも、市場のスピードの方がはるかに速かったからである。このままでは海外市場の陣取り合戦に負けてしまい発展のチャンスが潰れてしまうと危機感からである。理屈は充分理解できる。でも、ここで考えなければならないのが、単純に組織を肥大化させてはいけないということ。本社機能を強化して、集中コントロールできる仕組みと力をつけなければならない。僕はそんな意味もあり「グローバルCMS」や、「会計基準の統一」、「海外経理支援部隊」を作った。だけど、会社全体では、まだまだ、道半ばの状態であった。

 そんな状況下で、冒頭の「事業再編」の「事業拡大戦略」がきたのである。・・・果たして、この戦略は妥当なものであるのか?。本当に成長につなげるためには何が必要なのか?・・・そんな疑問が、私の今回の投稿の本質である。長々とイントロを語ったのは、今回の事業再編への道は、過去の戦略で培ってきたものや、反省したものと深い関係があるので、そうした。▲長文になってしまったので、本質は明日の投稿に廻したいと思います。

 

(注)これは、一個人が勝手に書いたものですので、事実ではありませんので、ご承知置き下さい。