今日も新聞で「時短強化」の記事があった。日本の競争力を弱めないためにも、我ら、経営者は、その本質を心しなければならない。

ある、経営者の集いで「時短」が話題に上がった。 ▲「今時の時短はおかしい」「時短そのものが目的化してしまった」・・・なるほどと思った。

 世の中、過労で心身ともに疲れ、仕事への取組み方が見直されてきた。 しかし、いつしか、時短そのものが目的化され、真の意味も考えず「残業禁止」「有給完全消化」の大合唱となった。 横習え感の強い日本社会では、「時短」と言うスローガンだけが、あっと、言う間に広がった。 ▲これに反発した経営者からの意見である。

 

 私は、もともと、古い人間である。「こんなことをしているから日本は勝てないのだ。後進国に次々と事業を買収されているじゃあないか。 昔は、昼夜を問わずサラリーマンは働いたものだ。 早起きは3文の得と言ったじゃないか。 知恵の出せない者は汗を出せともいわれた。 そんな風潮の中で、私達は人の2倍働くためにどうしたら良いか・・・なんて、真剣に考えたものだ。」

 これ以上、話すと、四方八方から、お叱りを受けそうなので止めることにする。 実は、このお叱りを受ける発言の中にこそ、時短の真の意味が隠れているのである。

 

 つまり、「時短とは、時間の概念を変える」ことにあると思うのです。何気なく過ごしてきた時間の流れを見直して、同じ時間でも、中身の濃い生き方に代えるのが時短の本質だと思うのです。 ▲そう、昔の人間は、多くの「時間を費やすことで、付加価値を少しでも高めよう」 と考えてきたのですが、これからは、「時間当たりの労働力をどう高めるか」が求められるようになってきたのです。

 

「そんなこと、あたり前」と、思う方が殆どだと思いますが、これが、意外と難しく、いろんなところで、間違ったことをしているに、気が付かないことが多いのです。

 それでは、私の遭遇した現場目線から、その誤った事例をいくつか紹介しましょう。

 

 時は、事業拡大で経営資源がバラバラになり、企業体力が弱体化し、これを是正しようと緊縮財政を敷いていた頃である。 ▲全社一丸となってこの政策を展開していた。 おまけに、体育会系の物凄く元気な総務課長さんがいたので、この施策は瞬く間に徹底されていった。  

あらゆる経費をカットしまくって行ったのである。 その中に「交通費」のカットもあった。 その課長さんは、「逆方向に戻るような、高速道路入り口の利用を禁ズ」を打ち出した。 ところがである。 後戻りして東名に入る方が、主力取引先T社に早く着くのである。・・・確かに、目に見える「旅費交通費」はこの方が低減できる。 が、時間軸で見ると「移動時間として費やすのか」それとも、「早く着いた時間を取引先との打合せ時間として費やすのか」と言うことになる。 どちらが付加価値を生む時間なのかは明白である。

 

 次は、私が、「事務部門の生産性向上を進めていた」頃である。 その一環で、アンケートを取ったら、多くの社員は、「課題を沢山抱えると、まず、すぐ解決で来そうなものから片付ける」 そんなパターンが浮かび上がってきた。 人は、難しい課題に取り組む前に、周辺の問題を解決して置こう・・・と考えるようである。 多分、貴方の会社も少なからず同じようなパターンが大勢を占めると思った方が良い。

これも、時間軸で考えると、実におかしなことである。小さなことは放って置いても、大きな問題を先に片付ける方が、蒙る痛手は小さいに決まっているのに。 

 

最後に、取って置きの事例を紹介します。

それは、主力取引先の米国子会社で在庫が急増した時だった。 加えて、リーマンショックが重なった。 市場は一辺に冷え込んだ。 いつ回復するか見込めなかった。 取引先は、昨日までの増産大号令から、一変して急ブレーキを踏んだのだ。 我社の受注も、あれよ、あれよと言う間に減少していった。 2直フル稼働が1.3直ぐらいの生産量になった。

 この変わりようは普通ではなかった。 何かしなければ大変なことになる。皆そう思った。

 

そんな中で、当時の社長だったI氏が出した指示は、「1直生産を目指せ ! 」だった。

 

私は思った。「なぜ、こんな時に、そんなことを言うのだ !  1直にしたら、設備が遊ぶことになる。 設備は休んでも償却費は減らない。 動いてなんぼ ! のものだ。 だから、営業部門に向かって、『死にもの狂いで受注を取ってこい ! 』と、大号令をかけるべきじゃぁないのか ! 」と、

 

 でも、社長にはある打算があった。 それを分かっていたのか、名古屋工場のN工場長が立ち上がった。 彼は、マシンの能力と、それを操る人間の能力を徹底して調べ上げた。 

そして、人間の能力よりも、マシン能力の方が上回るショップをピックアップしていった。 さらに、マシンがフル稼働できるようにと、不足している人を次々に追加投入していった。  

ことは、そう簡単ではない。 投入すべき人工は、1人工に満たない端数の人工なのだ。ここが、彼の真骨頂である。 現場を良く知っている。 個人レベルの能力と適正を知り尽くしている。 それを駆使して、人の適正配置を繰り返し、この難問をクリアしていった。

 それだけではない。 単に不足する人工を投入するだけでは、全体の人工は増加してしまう。 人を増やさず1直化を実現するためにはどうしたらよいか も、考えていた。 

彼は、各ショップの能力の違いに目を付けた。 このアンバランスは中間在庫を増やすだけで、全体の生産を上げることには結びつかないと考えた。 この頃は、どのショップもフル生産していた時期だったから、それぞれが最大生産を狙っていたので、「君のショップは少し生産をさげても良いよ ! 」には驚いた人が多かった。 彼は、こう言って、必要以上に生産しているショップから、少しずつ人を引き抜いていった。 それを、人工が不足しているショップに投入していったのである。 彼は、こうして、新たな人を採用せず、見事「1直化」を成し遂げたのである。 これを機に、工場採算は一気に改善されていった。 

 

実は、I社長は、このことを狙っていたのである。

得意先の過剰在庫問題は一過性である。ある時間が経てば回復される。だけども、リーマンショックによる市場の冷え込みは先が見えない。 だから、受注拡大よりも、なお、一層の生産工程による合理化が必要と考えたのである。 しかも、抽象的な指示ではなく、完成形の姿を指示することで、その目的達成に火をつけたのである。

 素晴らしい経営者と、実現に執念を燃やした工場長の素晴らしいチームワークだった。

 

いろいろ実例をあげて説明したが、

時短とは、時間に焦点を当てて、今を変えることだと思う。

無駄な時間は省き、より生産性の高い時間に切り替えていくことが不可欠である。

これなくしての、時短は、会社の、日本の、競争力を弱体化させることに他ならない。