子会社でも時間の流れでシナジーが持てなくなることがある。

  長期的な投資の中には、価値増殖サイクルから漏れ、消えていくものがあることを書いたが、これに手を打っていくことは並大抵なことではない。 後向きな処理など誰もしたくない。 それに、首切りや、給料見直し、配置転換などを伴うことが多いので、踏み込むことは誰だって避けたいものだ。 あとは「この会社を何としても健全なものにしていく」という強い意志をどこまで貫けるかである。 そこで、幾つかの事例を上げながら、この難関を突破していくためのヒントを提供していきたい。

 

 時は代わり、社長はIJC氏に代わった。この社長の座右の命は「敵、何万たりとも、我、戦わん ! 」である。 なんとも勇ましい限りである。 痛みを伴う改革もいともせず、次から次へと戦いの狼煙を上げた。 まず指示が飛んできたのが、ある子会社の縁切り指示である。 この子会社は多角化を目指していたころ買収した会社である。 今では、本業との関係も薄れ、殆どシナジー効果はなかった。 その会社を「売却しろ ! 」と指示が出たのである。  またしても、自分が手を上げた。 「その仕事、私に任せて下さい!」と申し出た。 別に英雄気取りではない。 過去と何の関り合いもない自分が、引受ける方が、ことが、うまく運ぶと思ったからである。

 

 ここは、上野駅を降りしばらく歩いた所。 バイク用品店が立ち並ぶ、ちょっと疎雑な感じがする地域。 その一角に小さなビルがあった。 「乗っても壊れないだろうな ! 」と思えるようなエレベーターで4階のフロア―に向かった。 ここを訪れるのは初めてだった。 ドアを開けるまでは、どんな雰囲気なのかを知るべしもなかった。 こじんまりした部屋にはIT機材が不規則に並んでいた。 いかにもIT会社らしかった。 即、社長さんとお会いした。 なんせ、今日初めてお会いするので、共通の話題など何もなかった。 で、即、本題に入った。 その社長さんは、唐突とも思える私の出方にびっくりした様子であった。 が、跳ね除けたりしなかった。 実は、この社長さんも我社と縁を切りたかったのである。 聞けば、「いつかは上場を目指したい。そのためには子会社形態では実現できない」とのことであった。 この社長さん、元は大手電気メーカーのIT部門の責任者だったが、そこからスピンアウトして、この会社を立ち上げた創設者であった。 なかなかの者である。 先を見つめる目と、高い志を持っていた。 「この人なら、この話は合意できる ! 」と直感した。 今日はこれで充分だった。 詳細は後日に廻すことにした。

 

 2週間後、私は再びこの会社を訪れた。 縁切りのための条件を話し合うためだ。 私の方から条件を提示した。 「条件は株式売却価格だけです。それ以外のものはスッパリ関係を切りましょう。 尾を引くようなものは何もありません。」 そう言って価格を提示した。  

提示した価格は、相続税評価額である「純資産価額」「類似業種批准方式」「配当還元方式」を平均した価格を提示した。 私には何の裏もなかった。 誠実な気持ちで算出した価格であった。 ところが、この社長さん、価格に異論を唱え始めた。 「今まで協力してきたものが一切含まれていない」と言うのである。 私は何にも反論しなかった。 と言うか反論できなかった。 何も知らないのだから。 そこで、相手の言い分を丁寧に聴くことにした。 うなずいてはいたが、決して妥協はしてはいなかった。 社長さんも言い疲れてきたのか、声も小さくなり、穏やかになってきた。 そんな頃合いを見て、今日はここまでとした。

 

2~3日後に、また、訪れた。 「前回提示した価格以外に、これ以上も、これ以下もない。 最初から何の打算もない価格です」そう切り出して話し合いに入った。 先回と同様に社長さんは、いろいろ要求し始めた。 私は、今度は全て否定した。 「昔の話をしたら、お互いに色んなことが出てくる。 良いことも、悪いこともお互いにあるでしょう。 この話に入ったら、今回の話は決着できなくなる。」 「私たちは上場会社です。理論的な価格でなければ株主に説明ではない」ときっばり主張した。 それでも、納得出来なかったのだろう。 結論は後日にさせて欲しいと申し出てきた。

 

 また、1週間ほど経った。 今度は、相手の社長さんが我社に来た。 我社の社長に会いたいとのことであった。 私は、交渉半ばだったこともあり、社長には途中経過は報告をしていなかった。 正直「しまった!」と思った。 「あれだけ相手の言い分を、ことごとく受け入れなかったのに、うちの社長が、相手の意見を聞きOKしたらどうしよう」報告していなかったことを悔やんだ。

 ところが、うちの社長さん「大石に全て任せてある。彼の言う通りである」と、私の主張を押してくれた。・・・お陰で、その日に、提案した価格で決着した。

 

 余談だが、この話にも裏話があった。

私が、最初に、この子会社に行こうとした時だった。 うちの社長から電話がかかってきた。「なぜ、君が相手の会社に行くんだ!。 必要だったら相手の会社に来るように言いなさい。」と注意された。 その時は「なんで、いちいち出張することまで、社長の許可を得なければならないのだ!。このくらいは任せてよ!」と思った。 あとで気が付いたのだが、私も、もう取締役になっていた。 だから、私が行くのではなく、相手を呼びつけるのが本来の姿だったんだろうと。 それを、うちの社長は言いたかったのだろう。 幸いにして、この逆転現象が、相手の社長さんの気持ちを、少しばかり、やわらげる起爆剤に働いた。 それに、うちの社長は、私の思いとは裏腹に、最初から私のことを全幅の信頼をしてくれたのである。 

 

ここから得た教訓は、

永年、苦楽を共にしてきた子会社と話をするときは、初めから、裏も表もない純粋な条件を提示することが必要だと言うことである。 途中で変えるような条件では、話はまとまらないということである。 それに、なんと言っても、最後は人と人が決めることである。「条件は理論的に、心は尊重しあう」そんなスタンスが大事である。

 

(追伸)

先日、この子会社のHPを見た。 実に10年ぶりだったが、業容も規模も拡大をしていた。 上場こそしていなかったが、確実に成長していた。 それに、「会社経歴」には我社の子会社であったことは何も書かれていなかった。 きっと、我社の傘下であったことは、この会社では何の意味もなかったのであろう。・・・そういう意味では、私の取った行動は、両社ともにムダではなかった。と確信した。