これが、ほんとうの身を切る改革

経理の知られざる戦い
私は現役時代の「経営改善の数々の経験」を物語風に書き続けている。これは、ハウツー版の書籍はたくさん出回っているが、その時その時の想いとか考え方に触れていないので、多くの若者が「分かっているが、あと一歩の踏み出し」につながらないことに、ある危惧を抱いている。 そんな中で、「活きた教材」になればとの思いで、このことを続けている。
 その投稿も、しばらく、休んでいたが、再開することにした。

私は、財務改革の中で、「利益を生んでいない投資は撤退すべき」だと述べてきた。
ここ、出向先の会社にも、そんな案件が沢山あった。
 その中に、ベトナム政府との合弁の事業があった。将来の産業発展を担った事業で、とても意義のある事業だった。 が、残念ながら採算はとれていなかった。 それに、政府との合弁であることから諸所の規制にがんじがらめになっており、思い切った改革を阻害していた。  それだけではない。手を広すぎた事業は持てる力を分散させることになり、ひいては本体の弱体化につながる恐れがあった。

 そこで、当時の社長は撤退を決意した。 ここまでは、社長が一人で決断した。 私は、なんの力にもなれなかった。 が、偶然にも、この事業のメインの取引先は私の出向元の会社であった。 今まで極秘で進めてきただけに、このメインの取引先には何も連絡してこなかった。 このことに、社長も動く気配がなかった。 これはまずいと思った。 両社の間に遺恨を残してはならない。・・・そう思った。 私が単独で動くしかなかった。 でも、一介の部長クラスでは、社長はあってくれないだろう。 そこで、あることを決意した。 

「長いことおせわになりましたが、そろそろ出向先のお世話になろうと思っております。 つきましては、今までの御礼に伺いさせて頂きたいと思います」 と告げた。  さすがに、これには断る理由がなかったのだろう。 会って貰える約束を取り付けることができた。

私は、こうして、長い間お世話になった会社と縁を切ることになった。 お陰で、両社は何の問題もなしに、ベトナム事業から手を引くことができた。 このことは、誰も知らないだろう。 今、初めて明かした。

 ここで得た教訓は、いざとなったら、身をきる思いがあればなんでもできると言うことと、 もう一つは、海外事業は独資でやるべきだと言うことである。 起業当初は苦労も多いが、のちのちのことを考えれば、結局、これが一番。 最初から楽しようと考えたら、あとで、つけが廻ってくることを忘れてはならない。