これが、ほんとうの身を切る改革

経理の知られざる戦い
私は現役時代の「経営改善の数々の経験」を物語風に書き続けている。これは、ハウツー版の書籍はたくさん出回っているが、その時その時の想いとか考え方に触れていないので、多くの若者が「分かっているが、あと一歩の踏み出し」につながらないことに、ある危惧を抱いている。 そんな中で、「活きた教材」になればとの思いで、このことを続けている。
 その投稿も、しばらく、休んでいたが、再開することにした。

私は、財務改革の中で、「利益を生んでいない投資は撤退すべき」だと述べてきた。
ここ、出向先の会社にも、そんな案件が沢山あった。
 その中に、ベトナム政府との合弁の事業があった。将来の産業発展を担った事業で、とても意義のある事業だった。 が、残念ながら採算はとれていなかった。 それに、政府との合弁であることから諸所の規制にがんじがらめになっており、思い切った改革を阻害していた。  それだけではない。手を広すぎた事業は持てる力を分散させることになり、ひいては本体の弱体化につながる恐れがあった。

 そこで、当時の社長は撤退を決意した。 ここまでは、社長が一人で決断した。 私は、なんの力にもなれなかった。 が、偶然にも、この事業のメインの取引先は私の出向元の会社であった。 今まで極秘で進めてきただけに、このメインの取引先には何も連絡してこなかった。 このことに、社長も動く気配がなかった。 これはまずいと思った。 両社の間に遺恨を残してはならない。・・・そう思った。 私が単独で動くしかなかった。 でも、一介の部長クラスでは、社長はあってくれないだろう。 そこで、あることを決意した。 

「長いことおせわになりましたが、そろそろ出向先のお世話になろうと思っております。 つきましては、今までの御礼に伺いさせて頂きたいと思います」 と告げた。  さすがに、これには断る理由がなかったのだろう。 会って貰える約束を取り付けることができた。

私は、こうして、長い間お世話になった会社と縁を切ることになった。 お陰で、両社は何の問題もなしに、ベトナム事業から手を引くことができた。 このことは、誰も知らないだろう。 今、初めて明かした。

 ここで得た教訓は、いざとなったら、身をきる思いがあればなんでもできると言うことと、 もう一つは、海外事業は独資でやるべきだと言うことである。 起業当初は苦労も多いが、のちのちのことを考えれば、結局、これが一番。 最初から楽しようと考えたら、あとで、つけが廻ってくることを忘れてはならない。

 

熱き想いが資金を動かす。

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諸事日記(6/18)
私は、今、ある市民活動のお手伝いをしている。
環境問題の一貫で、ある事業化を計画している。
最初、話を聞いた時「あー、無理だねー、こんなこと事業化できるはずがない」と思った。
でも、熱心に夢を追い続ける姿を見て・・・「ひょっとしたら、いけるかも、しれない・・・」と、思えるようになってきた。
 僕は、永年、企業で財務を司ってきた。
その目線で見たら、このプロジェクトは、いかにも短絡的だった。
そこで、「資金を集めることはそんな甘いものではない!」 「本気でやるなら、もっと責任を見せる必要がある」 「そうでなかったら、皆、信用して金出してくれないよ」 「だから、リスクを補えるぐらいの自己出資をまずやらないといけない」・・と言ったら、なんと150万円もの出資を集めた。
 これを元手に、次は1000万円の資金を集めるところまで、準備が進んだ。
これなら、大丈夫だろう。・・・今は、そう、思っている。
 実は、資金集めにはいろんな要素が絡む。 何を軸にして集めるかは、プロジェクトの目的で変わってくる。また、その方法も多種多様である。 
 今日は、そのメンバーの親睦会と決起大会でいっぱいやった。
まだ、道半ばではあるが、一山超えたことで、みんなの顔が輝いていた。

本物の支援活動に出合えた。

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■経営コンサル便り(その9)

私は、今、掛川の「中東遠タスクフォースセンター」に来ている。
このセンターは、「地域の希望や課題を ”つぐみ” 人材と”つなぎ” 地域創生に寄与する」を目的に、今年の2月に設立されました。

私は、立上げと同時に、ここを訪れ「地元企業への貢献のあり方」について、お話をさせて頂きました。 その時、お聞きした同センターの理念に賛同をし、それ以来、お付き合いをさせて頂いております。

私は思うのです。
日本総活躍時代や地方創生のもとに、中小企業を支援する団体や組織が多数存在するようになりましたが、その多くが、弱者を救済する姿勢を取っているのが現状ではないでしようか? それも待ちの姿勢だと思います。 相談にくるのを待っているのです。 そのため、にっちもさっちも行かなくなってからの相談になってしまうのではないかと危惧しております。

弱者救済、しかも、倒産ぎりぎりの段階で、どれだけの手が残こされているのでしょうか?  はなはだ疑問であります。 順調に推移している時にこそ次に向けて何をやるべきかを考えるのが最も大事だと思うのです。

こうやって考えると、国の財源をより効果的に使おうとするならば、中堅企業を元気にするのも一法だと思うのです。 中堅企業であれば、打つ手もたくさんあります。 また中堅企業が元気になればその周辺の企業も元気になるのです。 だけども、困っていない企業は相談にこないから、こちらから訪問しなければならない。 それも、その会社いじょうの知恵を出さないと相手にされない。 個人コンサルの世界ではこの領域は攻めない。 なぜなら、「俺が、おれが」の世界だから、自分だけの力では限界があることを知っているからである。

こんな矛盾を、この中東遠タスクフォースは、果敢に攻めようとしている。 私は、本当に地域創生を望むのであれば、このスタンスが絶対必要だと思っている。

心に訴えるビジネスで活路を開く

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■経営コンサル便り(その8)

私は、今、ある団体の起業について、お手伝いをさせて頂いている。
この中で、感じたことがあるので、皆さんの参考になればと思い、紹介させて頂きます。

このビジネスは、「生活インフラ事業」である。
ご存知のように「インフラ事業」は、初期投資にまとまった資金が必要になることと、その回収期間が長期に渡ると言う特徴があります。 この為、零細企業や中小企業の参入が、とても難しい業界であります。

 果たして、この業界に零細・中小企業は本当に参入できないだろうか。・・・それが本日のテーマであります。

結論は、「やり方しだいで道は開ける」です。

 まず、小は大に勝てるかと言う疑問です。
ボストンコンサルティンググループが提唱した「経験曲線効果」でも知られているように、規模が大きいほど、製造・仕入れコストに優位性があり価格で競争することは、まず不可能でしょう。

 では、真っ向勝負ではなく、市場セグメントを変えて勝負できないかと言う見方です。残念ながら、この「生活インフラビジネス」は、既存の送電線を使ったり、ガス管を使うことになるので、市場セグメントを変える戦略は取ることができません。

 ならば、品質に差をつけて、高付加価値商品で、とも考えるのですが、ガスや、電気に品質の違いはありません。この戦略も無理だと思います。

ここまでは、無理な話ばかりですが、
事業と考えず、社会貢献として考えれば、やれる方法があるのです。
大きな利益は望めませんが、損をしないで、何とか事業として成り立たせることはできると思います。 それは、「生活インフラ事業」に、「社会貢献意識」や「地域活性化策」と結びつける方法です。 言い換えれば、品質や価格での商売ではなく、ユーザーの気持ちに訴える商売をすれば活路は開けるはずです。 

要は、ユーザーの心に響く「事業スキーム」を、どう作るかが勝負なのです。

とても難しいことですが、地域を良く知る人と、事業家がいれば、このスキームを作ることができます。 社会貢献を目的とした事業が広まることを私たちは願っています。

三人寄れば・・・そんな支援センターが、今、増えている。

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■経営コンサル便り(その7)
私は、今、「島田市産業支援センター」に来ています。
当センターは地元の中小企業の経営問題の相談・支援を目的に開設されたものですが、まだ、半年ほどしか経っていないようですが、もう、200人近い方が、ここに訪れ、支援を受けられたとのことです。 いかに、中小企業の悩みが山積しているかを、改めて感じさせられました。
 今や、電気業界も、自動車産業も国内生産は激減していますし、住宅、運送なども人工不足で思うように受注が受けられないなど、過ってのビジネススタイルが崩れかけております。 そんな中で、中小企業の経営者様の、ご苦労もますます多くなってきているものと、お察しします。 
 幸い、国の政策は、「日本総活躍時代」や「地方創生」を掲げ、中小企業の活性化に向けて、その支援体制も、随分と充実してきております。 一人で悩まず、気軽にお越頂き、相談することをお勧めいたします。 やっぱり「三人寄れば文珠の知恵」です。 きっと道は開けると思います。 また、当センターを企画・運営されている島田信用金庫さんは、県下でも有数な中小企業支援金融機関であります。 スタッフの方々も、経験、知識共に高い方々ばかりです。 このセンターを大いに活用して頂き、島田市の産業がますます発展されますことを期待いたしております。

名  称 :島田市産業支援センター
住  所 :472-0022 島田市本通2丁目1番の2
Tel    :0547-54-5760
FAX   :0547-54-5765
企画・運営:島田商工会議所・島田市商工会・島田信用金庫

タッグを組まさせて頂きました。

■経営コンサル便り(その6)
今日は、僕の活動の一端について話をします。

先月より、ビジネス・ブレーンというコンサルのグループに入れて頂きました。
やはり、自分一人で活動するよりも、大きなことができると思い、ラブコールを送り続けておりましたが、正式に認可して頂きました。
 この団体は、大手企業のOBを中心に結成されておりますが、いろいろな資質をお持ちになった方々がいらっしゃり、どんな企業でも頼れる存在であります。

昨日は、その定例会がありました。まだ、2度目の出席で、新参者ですが、名刺も作って頂いたし、ホームページの「スタッフ紹介」にも掲載して頂きましたので、本格参入させて頂きます。どうぞよろしくお願いします。

www.your-bestbrain.com

CSが会社を救う・・・と言う話

■経営コンサル便り(その5)

今日はCSの話です。
私は、三菱のディーラーでスズキの車を買った。
そうなんです。 以前のEKワゴンの燃費は、他社に大きく負けていたので、それを補うためにスズキの車も取り扱うようになったようです。 
 それにしても、よりによって、この二社、共に燃費問題で話題になっている。 もう、最悪ですね。 社会から完全に信用を失ってしまいましたよね。 街中で、この車乗っているのが恥ずかしい限りです。 こんな状況ですから、ディーラーは存続危機に陥る羽目になっていると思います。
 そんな、なか、ディーラーから手紙が届いた。
なんと、この一大事に、通りいっぺんの内容だった。
「メーカーが大丈夫だといっているから安心して下さい。」
「また、メーカーが何か言ってきたらお伝えします。」
なんか、おかしいとおもいませんか ?
完全に目線はメーカー側に向いている。
こんなスタンスでは、メーカーと生死を共にすると宣言しているようなもの。
ディーラーとは、本来、ユーザー側に目を向けて仕事をしなければならいのに。

メーカーが出来ないことでも、ディーラーで行えることは沢山ある。
それが、CS である。
メーカーはともかく、ディラ―として、信用度を回復して欲しい。
そんな気持ちで、「今、できること」のかずかずを、社長さんに、直接手紙を書いた。
2・3日経てば、その本気度が分かるはず。

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使えるものは、何でも使わせて頂く。 これチャンスを逃さない方法。

今日は、僕の経営コンサルのスタイルの一部を紹介させて頂きます。

掟破りの行動に出てみた。
会場は一瞬どよめいた。
でも、一呼吸置いて、力強く表示をしてくれた。
50人ぐらい集まった中で、3人の方が手を上げてくれた。
その方の顔を見たら「任せて置け ! 」そんな風に見えた。
頼もしいかぎりである。

これは、あるセミナーの中での話なのです。
先輩や、仲間達と一緒に環境問題をテーマにするセミナーに参加させて頂きました。
一通り、講演が終わり、質疑応答となった。
先輩が、素晴らしい質問をされたので、それならばと、僕も質問させて貰った。
ただ、質問のスタイルが、ちょっと違っていた。
僕は、マイクを片手に立ち上がり、こう切り出した。
「先生! 、 すみません。これは先生への質問ではありません。 会場の方々にお聞きしたいので、このご無礼をお許しください。」
そう言って、僕は、うしろを振り返って喋り始めた。
「実は、私たちも、先生と同じことを、この地元でやろうと思っています。 でも、お金が必要になります。 皆さんに、お金を拠出するようにお願いをさせて頂いたら、お引き受けしていただけるでしょうか ? 」
これが、冒頭のリアクションの背景です。

これは、僕流の市場調査だったのです。
「ひとのふんどしを借りて・・・」作戦なのです。
目的のためだったら、なんでもやってしまう。
利用できるものは、利用させて頂く。
そんな、僕のスタイルに今回は賛同して貰えた。
帰りがけ、駐車場にいたら、駆け寄ってきてくれた方がいらっしゃった。
「協力しますよ。 ・・・にいますから、いつでも言ってきて下さい」
この言葉に感謝しながら、掟破りの行動に出て良かったなー・・・と、胸を撫ぜ降ろしている。

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なんで、お金を借りられないのか・・・と、悩んでいる方にお教えしましょう。

続いて、「資金調達」の話です。
私は、長く、企業の財務に携わってきた。
だから、この仕事の、責任の重さを痛感している。
 「借りたものは返すのがとうぜんだろー」とか、「預けたお金は利子つけるのがとうぜんだろー」と言う、至極当然のことを、企業は必死にやっている。
ちょっと、企業流に言うと、「配当できないなんて役員賞与なし。報酬下げは当たり前」とか、「借入をリ・スケするようでは次の借入れはできない」と言った感じである。
 財務責任者は、「資金の流れがストップすることは、会社が倒産することと同じ」と考える。だから、必死に、考え、動き、いやなことも役員に求める。

 でも、一般社会では、それほど、重く考えないで動くことがある。 それを何とかしようとするのが、私のコンサルとしての立場である。

 皆さんは、お金の話だと聞くと「そりゃぁ~、街の税理士に相談すべきだよ」と、考えると思うが、それほど、ことは簡単ではない。
 

お金を借りるとは、どこから借りるにしても、どんな方法で借りるにしても、基本はみな同じである。

まず、返せるかをしっかり考えないといけない。
そのためには「事業計画(利益計画)」を作らないといけない。
利益なくして、資金はうまれないからである。

ややこしいことに、利益出ても資金が生まれないと言うことが、時として起こる。 その逆もまた起こる。 だから、利益計画とは別に「キャシュフロー計画」を作らないといけない。

更に、借入先に財務的な安心・安全を説明しなければならない。
そのためには、「予想・貸借対照表」を作成しなければならない。
これらの資料は、みな、リンクしている。 バラバラに作ってはいけない。
そこに、プロの知識が必要になる。

ここまでは、街の税理士でも出来るだろう。
問題はここからである。
「経営戦略と戦術」を描かなければならないのである。
これがなければ、先の「事業計画(利益計画)」は、単なる絵に描いた餅で、実現は難しいだろう。

どんなマーケットをターゲットに、どんな戦い方をするのか? 。
中小企業は大手と違って、真っ向勝負しては勝てない。 そこに工夫がいる。
戦略とは、「時流」と「自流」に乗ることが必要である。
そんな思考は、街の税理士ではできない。
「税法にはめっきり強いが、経営はかたっきし弱い」のだ。

そこに、僕の出番がある。

経営を考え、必要な資金を集める。
そんな、貴方の期待に答えます。
問い合わせ先は、経営コンサル「企業参謀」まで。

 

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「えっ、そんなことあるの ! 」と言う税金の話

今日は税金のお話です。
「知っていないと損する」それが税金なのです。
嘘みたいな本当の話を紹介します。

「いゃ~、消費税が上がって、お客さんがバッタリ減っちゃって、お店、大変だよー」・・・これ一般的なお話。 でも、「消費税が上がってよかったよー。お客さんの数は減ったけど、売上は増えた。 ラッキーだね! 」・・・こんな話もあるのです。

それでは、この喜んじゃう話を紹介します。
どんなお店に行っても、私たちは物を買う時、消費税を払いますよね。
「うちは消費税をとりませんよ」なんて聞いたことがない。
国の政策で「消費税転嫁対策特別措置法」なんてものがあって、消費税の転嫁を阻害するものが無いように規定をしている。ので、消費税を払うのは当たり前のことです。
 でも、その貰った消費税を納めるべき業者の中に、「免税業者」がいるのです。 それは、売上高が1000万円以下の業者です。 その方達は、いただいた消費税は自分の懐に入るのです。 そう、国の政策で、売上単価を上げて貰ったと同じことになるのです。 

「そんなの、ずるいー」と思わないでください。 その業者も支払いに係る消費税は支払っているので、全額 「ごっそり懐に入る」わけではありません。 それなりの負担もあるのです。 ここまでが一般通念上の話。 この懐に入る差額 (売上消費税―仕入れ消費税)が業種によって異なるのです。 「原価率がとても低い事業」や、「労務費を中心に回している事業」は効果が出ます。 このチャンスを見逃してはいけません。 この原資を使って攻めにでるべきです。 

また、会社設立時だけに使える消費税軽減のウルトラC「はなれ技」があります。 免税業者→課税業者→免税業者を繰り返す方法です。  売上高が1000万円以下で、事業内容が「インフラビジネス」だったり、「装置産業」の場合は、この技が大きく貢献します。  ただし、この技には使えるタイミングがあります。 この時期を逃してしまうと取り返すことはできません。 まさに「知っていないと損をしてしまう」知識なのです。

 私は、起業相談に受けている中で、このことを知りました。 そのために、いろいろ勉強をしました。 税務署にも足を運びました。 そんな経験知を、貴方に提供したいと思います。 消費税UPをチャンスとしたい方や、起業をお考えの方は、ぜひ、声をかけて下さい。誠心誠意をもって、支援にあたらせて頂きます。

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なんでこんなにも複雑なのか。会社形態ってのは、

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「経理の知られざる戦い」の投稿はちょっと休みます。
その前に、今コンサルしている中からの情報をお伝えします。

僕は、ある団体の起業についてお手伝いをしている。 その過程で分かったことを大まかにお伝えする。 起業しようとしている方の参考になれば嬉しい。

 会社形態の話である。 調べた形態は、「合同会社」「一般社団法人」「公益社団法人」「特例社団法人(NPO)」である。 最近は社会貢献的な活動を、会社を作ってやろうとするケースを多く見かける。 この活動は儲けることよりも社会貢献が目的なので利益は殆どでない。 それに、市民活動だから経営にも慣れていない。 そんな場合は、断然、前記した会社形態が適している。 だけど、どの形態にも一長一短がある。 このことが起業者を悩ませる。

 まず、「公益法人」や「特例社団法人」は、やっても良い事業が決まっている。 公益法人は23事業NPOは17事業と決まっている。 それは儲かる事業ではないのである。 会費や寄付金を集めて、その資金で運営することを前提にしているのである。 それに、設立時に国の認定を受けなければならない。 設立した後も公益的な事業運営がされているかチェックされる。 ・・・「儲かっちゃあいけない」なんて、経済的合理性がない。 それに国からの指導・監督が入る。 あんまりお勧めでない。 税金を払いたくない方や、国・地方公共団体からの補助金を受けたい方にはお勧めの形態である。

 ちょっとでも儲けたいと思う方は、「合同会社」か「一般社団法人」を選択しないといけない。 これは、殆どどんな事業をしても良い(収益事業34種類)。 じゃあ、どこが違うかと言えば、出資を集めやすいかどうかである。 「一般社団法人」は大きな出資を調達することは大変難しい。 なぜなら、一旦出資したものは戻ってこないからである。 具体的に言うと、出資したものに配当や利息は払えない。 それに解散した時でも戻ってこない。 残余財産は国あるいは公益性のある団体に寄贈しなければならないのである。 戻ってくるのは利益剰余金の部分だけ。 もともと出した基本の部分は戻ってこない。 出資にかわる「基金」と言うものがあるがこれも同じである。・・・こんな決め事があったら、だれも、お金を出さないと思う。 慈善家が背景にドカッと座っているような方にしかお勧めできない。

 最後の「合同会社」は、ほぼ株式会社と似ている。 配当もできるし、解散時にはその他の債務を完済した後であれば払戻ができる。 株式会社のように、出資を広く募集することは出来ないが、特定の人には出資が頼みやすい形態である。 それに、株式会社のように、株主総会など重い決済方法はない。 出資した人達で全てを決めることができる。 だから「合同会社」は、ある程度の元手(資金)が必要な事業をしたい方で、フットワーク軽く運営したい方にお勧めの形態である。

ここまで、調べ上げるのに、1ケ月ぐらいかかりました。
最近はネットでなんでも分かるが、いろんな意見があって、あっちいったり、こっちにいったりと、議論はぐるぐる回る。 そんな、余分な時間を貴方には味わってほしくない。 悩んでいる方はご連絡下さい。 相談に乗ります。

いつまでも脛をかじる子供は、早く切ってしまえ。

前項で、下請企業や、本業から外れた子会社への投資には、利益を生まないものが生まれやすいことを述べたが、それだけではない、バリバリの本業に関連した子会社の中にも、時流が変わればお荷物になることもある。そんな事例を紹介したい。

 

自動車業界が急成長していた頃。 どこの企業もフル生産を強いられ大多忙期を経験した。 造っても作っても、次から次へと注文がくる。 設備を増強し、人を臨時採用し、必死で対応してきた。 一部品メーカーのせいで、カーメーカーのラインをストップさせたら大変なことになる。 とにかく必死に対応したものだ。 それでも、労働力確保は日増しに深刻になっていった。 そんな中で、手を打ったのが、四国の田舎街である宇和島への工場 (子会社) 建設であった。 

 当時、宇和島には産業らしきものはなく、「漁業」と「みかん」ぐらいで、ひっそりと生計を立てていた地域である。 そんな所に大手企業が進出するのだから、地域から大変熱い期待を持って受け入れられた。 事実、経済的閑散地に雇用機会を創造させ、大いに地域活性化に貢献した。 

 しかし、時流とは、むなしいものである。 この労働力不足に国も対応するようになってきたのだ。 それは、ありがたいことではあるが、採用方法や就業形態を大きく変化せてしまったのである。 いつしか、労働不足を、外国人労働者の派遣で補うようになってきた。 コストも安いし、良く働く。 あっという間に広まった。

 こうなると、遠方に生産工場を進出させたことは、逆に足枷になってきた。 ご存知のように、自動車業界には「ジャストインタイムのモノづくり」と言う、世界に誇る生産方式がある。 これを支えるのが、下請け企業の並々ならぬ努力である。 このために「アッセンブリ―メーカー」の近くで生産することは常識となっていた。 

 我社もその戦略を永年取ってきた。 しかし、あの時点では、人の確保が期待できなかった。 人を確保する企業が勝つと思った。 そのためには、工場が人のいる場所に出ていくしかなかった。 勝ちにいった積極策が裏目に出たのである。

 労働力確保は出来たが、物流問題が勃発したのである。 中間物流が多発したのである。 設備投資を抑えるために、主要工程は本社工場が受け持ち、周辺の工程だけをこの工場で請持つことにしたのである。 このため、工程が分断され、中間物流が多発することになった。この中間物流のコストが重さなり、次第に価格競争力を失っていった。

 

 この頃、私は、まだ経理部長だった。 実務に追われ、子会社のことは頭になかった。 当然、何も動けなかったし、事態も理解していなかった。 そこに、社長のI氏から「撤退」の指示が出た。 社内の検討が一向に進まないことに業をにやし、社長が自ら決断をし、指示を出したのである。 あまりにも早い決断のため、疑問を抱いた者もいた。

 そんな中、原価を担当する取締役S氏が調査に乗り出した。 結果は、社長の思っていた通りである。 価格競争力は完全になくなっていた。 解決策も見つからなかった。  これで、撤退はより鮮明になった。

 ここまでは早かった。 社長のトップダウンで進めるやり方が功を奏した。 問題はここからだ。 手のひき方に頭を悩ましていたのである。 俄然、進行は足踏み状態になった。   

 その理由は、撤退することで発生する莫大な損失計上にあった。 私には、それほど大きな問題とは思わなかった。 子会社の損失は、連結決算上では、既に取り込まれているので撤退したからと言って、大きな損失は生しないことを知っていたからである。 それでも社長は躊躇した。 まだ、個別決算も重要視されていた時代なのでそれも納得できた。 ここで、ちょっと説明しておかなければならないことがある。 あの当時は、債務超過の子会社を清算したからと言って、債務超過額以上の損失は出なかったが、今は、ちょっと違う。

会計ビックバンで「減損会計」が義務づけられたからである。 「所有する事業用資産が将来見込まれる利益で回収できないと明らかになった場合は、その回収不能額を前もって損失に計上」しなければならなくなっている。 この規定に沿って処理をすると、それは、もう、びっくりするくらいの損失を計上しなければならなくなる。 それに、「宇和島に進出したことが誤り」だったことを自主申告するようなものである。 経営者として躊躇するのは、あたり前である。 あれだけ、全力疾走で検討してきた案件が、急に迷路にはまった瞬間であった。

 

 ここからが、私の出番である。 やれるかどうか分からないが黙っていられなかった。 また、手を上げた。 「私に、その対処法を提案させて下さい」 周囲は「おぉぉ、またかよ! 」っていう雰囲気に包まれた。 正直言うと、私にはこの雰囲気が心地よかった。 なぜか自分の存在が認められていくような気がしたのである。 「だから挑戦は面白い」と思えたのである。

実は、私には、外部にブレーンがいた。 出向元の税務責任者と、社外の税理士法人である。 このことは別の章でのべるが、 このブレーンに相談すればなんとかなると思ったのである。

 私の考えはこうである。 「清算すると大きな損失が出るのであれば、利益が出ている別の子会社と合併することで、何年かかけて、穴埋めをしていこう」と考えたのである。 至って簡単な考えである。 だが、実務面でいうと、なかなか難しいのである。 一般的に「債務超過会社を合併することは資本充実を訴える会社法では認められない」のである。 加えて「あらゆる所で税務問題が発生する」のである。

 面白いもので、壁が高ければ高いほど人は燃えるものである。 私も、昼夜を通して考えた。 そして、見事この壁を乗り越えた。 その方法は、税務上で認められるようになった「適格合併」の方法と、当時、流行っていた「デット・エクイティ・スワップ」を使ったのである。  まさに旬な方法を先取りするような手であった。 

 このマニアックな処理に、誰も議論に入ってこれなかった。 私の独断上となった。 社長も、すぐ了承してくれた。 早速、関係者を呼び、その決定を伝えた。 こうして、足踏みしていた案件は一気に進み出した。

 

 1件落着したが、実は、この話にも、続きがあった。

それは、半ば、私の独壇場できめた処理に賛成しなかった者も少なからずいた。 とりわけ、重荷を背負うことになった「子会社の社長」は、そのうちの1人であった。 「こんなのやってられないわ!」と、思ったのだろう。 別会社を設立し、自分が深く関与していた事業のみを持って出て行ってしまったのである。 残った事業を、私に、「社長をやれ ! 」と言うのである。 こうして、私自信が、重荷を負うことになってしまったのだ。 いやはや、言い出しっぺと言うのは、それなりのリスクを負うものである。 でも、この子会社の社員が頑張ってくれた。 年商100億円を超える立派な会社である。 予定よりも2年も早く目的を達成してしまったのである。

 

 ここまで、経験談を長々話してきたが、要は「大事を成すためにはブレーンが欠かせない」ということである。 それも、社外に持つことである。 社内では見つけられないことでも、外からは見えることが結構ある。 それに、過去に拘らない。 いつも、挑戦のスタンスを持つことができるのである。

子会社でも時間の流れでシナジーが持てなくなることがある。

  長期的な投資の中には、価値増殖サイクルから漏れ、消えていくものがあることを書いたが、これに手を打っていくことは並大抵なことではない。 後向きな処理など誰もしたくない。 それに、首切りや、給料見直し、配置転換などを伴うことが多いので、踏み込むことは誰だって避けたいものだ。 あとは「この会社を何としても健全なものにしていく」という強い意志をどこまで貫けるかである。 そこで、幾つかの事例を上げながら、この難関を突破していくためのヒントを提供していきたい。

 

 時は代わり、社長はIJC氏に代わった。この社長の座右の命は「敵、何万たりとも、我、戦わん ! 」である。 なんとも勇ましい限りである。 痛みを伴う改革もいともせず、次から次へと戦いの狼煙を上げた。 まず指示が飛んできたのが、ある子会社の縁切り指示である。 この子会社は多角化を目指していたころ買収した会社である。 今では、本業との関係も薄れ、殆どシナジー効果はなかった。 その会社を「売却しろ ! 」と指示が出たのである。  またしても、自分が手を上げた。 「その仕事、私に任せて下さい!」と申し出た。 別に英雄気取りではない。 過去と何の関り合いもない自分が、引受ける方が、ことが、うまく運ぶと思ったからである。

 

 ここは、上野駅を降りしばらく歩いた所。 バイク用品店が立ち並ぶ、ちょっと疎雑な感じがする地域。 その一角に小さなビルがあった。 「乗っても壊れないだろうな ! 」と思えるようなエレベーターで4階のフロア―に向かった。 ここを訪れるのは初めてだった。 ドアを開けるまでは、どんな雰囲気なのかを知るべしもなかった。 こじんまりした部屋にはIT機材が不規則に並んでいた。 いかにもIT会社らしかった。 即、社長さんとお会いした。 なんせ、今日初めてお会いするので、共通の話題など何もなかった。 で、即、本題に入った。 その社長さんは、唐突とも思える私の出方にびっくりした様子であった。 が、跳ね除けたりしなかった。 実は、この社長さんも我社と縁を切りたかったのである。 聞けば、「いつかは上場を目指したい。そのためには子会社形態では実現できない」とのことであった。 この社長さん、元は大手電気メーカーのIT部門の責任者だったが、そこからスピンアウトして、この会社を立ち上げた創設者であった。 なかなかの者である。 先を見つめる目と、高い志を持っていた。 「この人なら、この話は合意できる ! 」と直感した。 今日はこれで充分だった。 詳細は後日に廻すことにした。

 

 2週間後、私は再びこの会社を訪れた。 縁切りのための条件を話し合うためだ。 私の方から条件を提示した。 「条件は株式売却価格だけです。それ以外のものはスッパリ関係を切りましょう。 尾を引くようなものは何もありません。」 そう言って価格を提示した。  

提示した価格は、相続税評価額である「純資産価額」「類似業種批准方式」「配当還元方式」を平均した価格を提示した。 私には何の裏もなかった。 誠実な気持ちで算出した価格であった。 ところが、この社長さん、価格に異論を唱え始めた。 「今まで協力してきたものが一切含まれていない」と言うのである。 私は何にも反論しなかった。 と言うか反論できなかった。 何も知らないのだから。 そこで、相手の言い分を丁寧に聴くことにした。 うなずいてはいたが、決して妥協はしてはいなかった。 社長さんも言い疲れてきたのか、声も小さくなり、穏やかになってきた。 そんな頃合いを見て、今日はここまでとした。

 

2~3日後に、また、訪れた。 「前回提示した価格以外に、これ以上も、これ以下もない。 最初から何の打算もない価格です」そう切り出して話し合いに入った。 先回と同様に社長さんは、いろいろ要求し始めた。 私は、今度は全て否定した。 「昔の話をしたら、お互いに色んなことが出てくる。 良いことも、悪いこともお互いにあるでしょう。 この話に入ったら、今回の話は決着できなくなる。」 「私たちは上場会社です。理論的な価格でなければ株主に説明ではない」ときっばり主張した。 それでも、納得出来なかったのだろう。 結論は後日にさせて欲しいと申し出てきた。

 

 また、1週間ほど経った。 今度は、相手の社長さんが我社に来た。 我社の社長に会いたいとのことであった。 私は、交渉半ばだったこともあり、社長には途中経過は報告をしていなかった。 正直「しまった!」と思った。 「あれだけ相手の言い分を、ことごとく受け入れなかったのに、うちの社長が、相手の意見を聞きOKしたらどうしよう」報告していなかったことを悔やんだ。

 ところが、うちの社長さん「大石に全て任せてある。彼の言う通りである」と、私の主張を押してくれた。・・・お陰で、その日に、提案した価格で決着した。

 

 余談だが、この話にも裏話があった。

私が、最初に、この子会社に行こうとした時だった。 うちの社長から電話がかかってきた。「なぜ、君が相手の会社に行くんだ!。 必要だったら相手の会社に来るように言いなさい。」と注意された。 その時は「なんで、いちいち出張することまで、社長の許可を得なければならないのだ!。このくらいは任せてよ!」と思った。 あとで気が付いたのだが、私も、もう取締役になっていた。 だから、私が行くのではなく、相手を呼びつけるのが本来の姿だったんだろうと。 それを、うちの社長は言いたかったのだろう。 幸いにして、この逆転現象が、相手の社長さんの気持ちを、少しばかり、やわらげる起爆剤に働いた。 それに、うちの社長は、私の思いとは裏腹に、最初から私のことを全幅の信頼をしてくれたのである。 

 

ここから得た教訓は、

永年、苦楽を共にしてきた子会社と話をするときは、初めから、裏も表もない純粋な条件を提示することが必要だと言うことである。 途中で変えるような条件では、話はまとまらないということである。 それに、なんと言っても、最後は人と人が決めることである。「条件は理論的に、心は尊重しあう」そんなスタンスが大事である。

 

(追伸)

先日、この子会社のHPを見た。 実に10年ぶりだったが、業容も規模も拡大をしていた。 上場こそしていなかったが、確実に成長していた。 それに、「会社経歴」には我社の子会社であったことは何も書かれていなかった。 きっと、我社の傘下であったことは、この会社では何の意味もなかったのであろう。・・・そういう意味では、私の取った行動は、両社ともにムダではなかった。と確信した。

財務改革の次なる手は、価値増殖サイクルから、漏れ、消えていくものを無くすことだ ! 。

前回までの説明で、財務改善をするためには、2つの事柄があると述べました。それは、価値増殖サイクルをできるだけ早く回転させることと、価値増殖の高さを大きくすることだと説明をしましたが、もう一つ大事なことがあるのです。

それは、投入した資源が、この価値増殖サイクルの過程で、洩れ、消えてなくならないようにすることです。 これは、通常の生産活動の過程だけでなく、投資活動の中でも同じようなことが起こり得るのです。私は、いよいよ、このことについて手を付け始めた。過って、多角化を進めていたので、収益を生まない投資がいくつもあった。それを、一つ一つ整理していったのである。 

 ある日、何やら白熱した会議に出くわした。 最初はなんだか分からなかった。しばらくすると部品の生産を依頼している会社の経営問題であることが分かってきた。利益は出ているが資金難に陥っているようである。 資金援助すべきかどうか議論をしていたのである。 ところが、いっこうに話が前に進まない。議論だけが空回りしている。 我慢できず、手を上げた。 「その会社の状況を、私に見に行かせて下さい。」「調査結果を報告しますので、その上で、もう一度議論をして下さい。」・・・状況を全く知らない自分が、まあ、なんと、大胆な発言をしたものだと、後になって後悔をした。 そんな矢先、当時の購買部長のOHS氏が、そっと、寄ってきて「大石さん、大変なことを言いましたね。 実は、あの会社は我社から出向した者が社長をしているのですよ。それも、かなり堅物で、私も、何度か調査に入ろうとしたが、入口で追い返されて困っていたのです。 まあ、頑張って下さい。」・・・この言葉で、後悔は更に現実味を帯びた。

 

いよいよ、その日が来た。 私は、経理部から選り抜きの二人の課長であるK課長とF課長と共に現場に向かった。 私は、前の会社で監査部に所属していたことがあったので、この手のことは慣れていた。 まず別室に、その会社の社長さんを呼んだ。 社員に、この調査が公になることを避けるためである。 まず、この調査の趣旨を説明した。 凄い抵抗に合うかと思ったが、肩すかしに合った。 スムーズに開始できたのだ。 この手の調査は、担当者の意見を聞くより、生の資料を確認していく方が、ことが早く進む。 最初に取り掛かったのは貸借対照表の信憑性だ。 手法はIFARSの基準を使用した。 出るわ、出るわ。 次から、次へと「おや、まあ、こんなことまて゛・・・」と感心してしまった。 その処理の方法の詳細は、いろいろ誤解を招く恐れがあるのでこれ以上紹介することは避ける。 経営者には悪意はなかった。これが通常の処理だと思っていたのだろう。 平然と受け答えをしていた。 困ったことに、街の税理士はこの処理を指導し、街の信用金庫はこのことを承知しながら、担保があるからと貸し続けた。 我社からは派遣したM社長は、「朱に交われば・・・」である。すぐ、朱く染まってしまった。

 このように、誰も、ストップを掛けられなかったのである。 そのことが、事態を一層悪化させた。 そればかりではない、我社も遠巻きに「わー、わー」と騒いでいただけである。 関係者の責任は重いと思った。 

 幸い、私は、出向の身、過去とは何の しがらみ もない。 思ったことを、ズバリと言った。 会議で、次のように報告した。 「ここまで、悪化しているのだから、再生は不可能です。 再生するなら本気を出さないとやれない。 人も技術も管理手法も全て我社から出さなければ達成できない。」 そう言い切った。 驚いたことに誰も反対しなかった。 当時の社長K氏が動いた。 「やっぱり、そうだったか!」と、思ったのだろう。 早速、相手の社長を呼んだ。 「ここまで、悪化したオーナー側の責任は重い。 自腹を切ってでも財政悪化を出資で補え。 我社の指導にも責任があるので、再建には全面協力する」と説いた。 さすがである喧嘩両征伐を見せたのである。 しばらくして、その会社の社長さんは退き、私に助言をした購買部長が新しい社長として赴任していった。 本気で対応が始まったのである。 それから数年後にこの会社は新たな展開を見せた。そのことは、また、別の章で述べることにする。

 あっ、一つ補足しなければならないことがある。 それは、私たちが、かくもスムーズに調査できたのは、裏で、壮絶な戦いがあったからである。 実は、当時の専務であったOSR氏が事前に露払いしていたのである。 相手の会社に出向き、「調査に協力するように」と、申し出ていたのである。 相手の社長は激怒して「なんで、お前たちにパンツの中まで見せなければならないんだ」と叫んだらしい。 多分、過って親身に相談に乗ってこなかった我社への怒りが爆発したのだろう。 そこは、さすが専務である。キッチリ話を付けてきたのである。 そんなことを、何にも知らずに自分の手柄のように報告したことが、ちょっぴり恥ずかしかった。 

 

 以上、実例を紹介したが、大事なことをまとめてみたい。

短期の価値増殖サイクルから、洩れ、消えていくものは、それなりに、現場で気が付き、対策も早く打たれる場合が多い。 が、設備や他企業への投資など、長期に渡って企業活動に投入されるものは、意外と管理されていないことが多い。

 特に、下請先企業への投資には、このことが多くみられる。 資本注入している下請けは、当社の言い分を良く聞く。 要求するコストダウンにすんなり協力する。 政策浸透しているようでなんとも気持ちが良い。 この心地良さが間違いを起こすことにつながる。

気がつけば、抜き差しならない状態になっていたりすることがある。 こうやって、多くの大手企業は関係会社が次から次へと増えていく。 それらは、何の価値にもならない。それだけではない足を引っ張る集団となることがある。

これを避けるためには、「政策協力度」だけでなく、経営の安全度も確認しなければならない。 それには一つのコツがある。 それは「利益はいくらでも操作できるが、キャシュフローは嘘をつかない」という目で見ることである。 それに、いやなことでも、会社を守るためには、火中の栗でも、自ら拾おうとする意志と心意気を持って欲しい。

今日も新聞で「時短強化」の記事があった。日本の競争力を弱めないためにも、我ら、経営者は、その本質を心しなければならない。

ある、経営者の集いで「時短」が話題に上がった。 ▲「今時の時短はおかしい」「時短そのものが目的化してしまった」・・・なるほどと思った。

 世の中、過労で心身ともに疲れ、仕事への取組み方が見直されてきた。 しかし、いつしか、時短そのものが目的化され、真の意味も考えず「残業禁止」「有給完全消化」の大合唱となった。 横習え感の強い日本社会では、「時短」と言うスローガンだけが、あっと、言う間に広がった。 ▲これに反発した経営者からの意見である。

 

 私は、もともと、古い人間である。「こんなことをしているから日本は勝てないのだ。後進国に次々と事業を買収されているじゃあないか。 昔は、昼夜を問わずサラリーマンは働いたものだ。 早起きは3文の得と言ったじゃないか。 知恵の出せない者は汗を出せともいわれた。 そんな風潮の中で、私達は人の2倍働くためにどうしたら良いか・・・なんて、真剣に考えたものだ。」

 これ以上、話すと、四方八方から、お叱りを受けそうなので止めることにする。 実は、このお叱りを受ける発言の中にこそ、時短の真の意味が隠れているのである。

 

 つまり、「時短とは、時間の概念を変える」ことにあると思うのです。何気なく過ごしてきた時間の流れを見直して、同じ時間でも、中身の濃い生き方に代えるのが時短の本質だと思うのです。 ▲そう、昔の人間は、多くの「時間を費やすことで、付加価値を少しでも高めよう」 と考えてきたのですが、これからは、「時間当たりの労働力をどう高めるか」が求められるようになってきたのです。

 

「そんなこと、あたり前」と、思う方が殆どだと思いますが、これが、意外と難しく、いろんなところで、間違ったことをしているに、気が付かないことが多いのです。

 それでは、私の遭遇した現場目線から、その誤った事例をいくつか紹介しましょう。

 

 時は、事業拡大で経営資源がバラバラになり、企業体力が弱体化し、これを是正しようと緊縮財政を敷いていた頃である。 ▲全社一丸となってこの政策を展開していた。 おまけに、体育会系の物凄く元気な総務課長さんがいたので、この施策は瞬く間に徹底されていった。  

あらゆる経費をカットしまくって行ったのである。 その中に「交通費」のカットもあった。 その課長さんは、「逆方向に戻るような、高速道路入り口の利用を禁ズ」を打ち出した。 ところがである。 後戻りして東名に入る方が、主力取引先T社に早く着くのである。・・・確かに、目に見える「旅費交通費」はこの方が低減できる。 が、時間軸で見ると「移動時間として費やすのか」それとも、「早く着いた時間を取引先との打合せ時間として費やすのか」と言うことになる。 どちらが付加価値を生む時間なのかは明白である。

 

 次は、私が、「事務部門の生産性向上を進めていた」頃である。 その一環で、アンケートを取ったら、多くの社員は、「課題を沢山抱えると、まず、すぐ解決で来そうなものから片付ける」 そんなパターンが浮かび上がってきた。 人は、難しい課題に取り組む前に、周辺の問題を解決して置こう・・・と考えるようである。 多分、貴方の会社も少なからず同じようなパターンが大勢を占めると思った方が良い。

これも、時間軸で考えると、実におかしなことである。小さなことは放って置いても、大きな問題を先に片付ける方が、蒙る痛手は小さいに決まっているのに。 

 

最後に、取って置きの事例を紹介します。

それは、主力取引先の米国子会社で在庫が急増した時だった。 加えて、リーマンショックが重なった。 市場は一辺に冷え込んだ。 いつ回復するか見込めなかった。 取引先は、昨日までの増産大号令から、一変して急ブレーキを踏んだのだ。 我社の受注も、あれよ、あれよと言う間に減少していった。 2直フル稼働が1.3直ぐらいの生産量になった。

 この変わりようは普通ではなかった。 何かしなければ大変なことになる。皆そう思った。

 

そんな中で、当時の社長だったI氏が出した指示は、「1直生産を目指せ ! 」だった。

 

私は思った。「なぜ、こんな時に、そんなことを言うのだ !  1直にしたら、設備が遊ぶことになる。 設備は休んでも償却費は減らない。 動いてなんぼ ! のものだ。 だから、営業部門に向かって、『死にもの狂いで受注を取ってこい ! 』と、大号令をかけるべきじゃぁないのか ! 」と、

 

 でも、社長にはある打算があった。 それを分かっていたのか、名古屋工場のN工場長が立ち上がった。 彼は、マシンの能力と、それを操る人間の能力を徹底して調べ上げた。 

そして、人間の能力よりも、マシン能力の方が上回るショップをピックアップしていった。 さらに、マシンがフル稼働できるようにと、不足している人を次々に追加投入していった。  

ことは、そう簡単ではない。 投入すべき人工は、1人工に満たない端数の人工なのだ。ここが、彼の真骨頂である。 現場を良く知っている。 個人レベルの能力と適正を知り尽くしている。 それを駆使して、人の適正配置を繰り返し、この難問をクリアしていった。

 それだけではない。 単に不足する人工を投入するだけでは、全体の人工は増加してしまう。 人を増やさず1直化を実現するためにはどうしたらよいか も、考えていた。 

彼は、各ショップの能力の違いに目を付けた。 このアンバランスは中間在庫を増やすだけで、全体の生産を上げることには結びつかないと考えた。 この頃は、どのショップもフル生産していた時期だったから、それぞれが最大生産を狙っていたので、「君のショップは少し生産をさげても良いよ ! 」には驚いた人が多かった。 彼は、こう言って、必要以上に生産しているショップから、少しずつ人を引き抜いていった。 それを、人工が不足しているショップに投入していったのである。 彼は、こうして、新たな人を採用せず、見事「1直化」を成し遂げたのである。 これを機に、工場採算は一気に改善されていった。 

 

実は、I社長は、このことを狙っていたのである。

得意先の過剰在庫問題は一過性である。ある時間が経てば回復される。だけども、リーマンショックによる市場の冷え込みは先が見えない。 だから、受注拡大よりも、なお、一層の生産工程による合理化が必要と考えたのである。 しかも、抽象的な指示ではなく、完成形の姿を指示することで、その目的達成に火をつけたのである。

 素晴らしい経営者と、実現に執念を燃やした工場長の素晴らしいチームワークだった。

 

いろいろ実例をあげて説明したが、

時短とは、時間に焦点を当てて、今を変えることだと思う。

無駄な時間は省き、より生産性の高い時間に切り替えていくことが不可欠である。

これなくしての、時短は、会社の、日本の、競争力を弱体化させることに他ならない。